女心と初夏の空
久しぶりの投稿です。
体調を崩し、二週間程何も出来ない状態でした。結局のところ、「ただの
風邪」だったわけですが、健康である事の有難さと体力upの必要性
を痛感致しました。やはり人間、「体が資本」ですな。
そして、具合が悪い割には、色々と考えていたのでした(笑)。
例えば、最近発売された、ウワサのiP◯dとか。
電子書籍、ゲーム、映画etc…便利そうだけど、
どうなんだろう か?と。(←曖昧だなぁ)
そのうち、教科書もこれ一台で済む時代がくるんだろうな。
もしかしたら、ランドセルにこれだけ…とか?
そうなると、鉛筆をきちんと持てるか、
な〜んて、どうでも良くなっちゃうんだろうな。
そういうの、私、受け入れられるのかな?
なんていう、近い未来への想像と、これまた、その想像に対しての不安と憤り
を勝手にやっていたわけです(笑)。
と言いつつ、こうやって、私はPCを使っているのわけなのですが (爆)。
ちょっと前のテレビで、今の若者達は、筆記体を知らないという話題を取
り上げていました。それは、ゆとり教育の産物らしいですが、米国の若者
達も筆記体の読み書きができないそうです。PC導入の授業では、筆記体は必要ないですものね。
文明の進化による文化の衰退…。
歴史的に今まで繰り返してきた事だろうけど、
結論!
誰がなんと言おうと、鉛筆や箸がきちんと持てる事に越したことはない!
なんだかんだと、私の決意表明になってしまいましたね(笑)。
M
そして、上で書いた「越したことはない」という文字の変換で「超した」と
いう漢字が出てきました。
悩みませんか?私は悩みましたよ。だって、思いもつかない漢字だったか
ら。でも、今時だと、「超」は普通に使いますものね。やはり、文字も生
き物なんだなぁ。←と言いつつ、これも受け入れ難いのでした(笑)
←愛用のPC