ランドセル会🎒
「もうぱんださんだから!」
学童期の人間関係 幼児期を土台とした発展
学童期シリーズ、とりあえずラストです。
(長々と占拠して申し訳ありません、本当に)
勉強よりも友達関係の方が心配
という方もいらっしゃるかもしれませんね。
特にあかねみたいな小規模園から小学校に入る場合、同じ学校に行くお友だち自体が数人いればいい方で、ましてや同じクラスなんて…という感じで、全く初対面の人たちに囲まれた小学校生活が始まるわけです。
だけど、毎年の卒園児さんを見ていると、その不安がウソのように新しいお友だちがすぐにできて、楽しい小学校生活を送っているのもまた確か。
この力は何だろうな
どこからくるんだろうな
と考えたときに
人を信頼できる
自分を信じている
という心の根っこが力の源なんじゃないか
と感じます。
「あなたは大切な存在なのよ。
この世にひとりしかいない、
誰も代わりになれない、
かけがえのない存在なのよ」
という大事なメッセージを、日々の生活の至るところで~朝や帰りのご挨拶で、時には遊びの中のケンカの仲裁で、またはお誕生日会で~行動や態度や、時には直接ことばで、伝え続けて下さった先生方。
(実際に園長先生がこうおっしゃっている場面を何度も見ています)
お仕事や体操、リズムやお絵描き、
運動会にクリスマス会、その練習の日々。
毎日の中の
「自分でできるようになった!」
を受け止め続けた自分自身。
その気持ちを共有した周りのお友だち。
こういう体験が重なって
「人は信頼できる、大丈夫」
「自分はがんばれる、できる、大丈夫」
という気持ちが、本人も気づかない心の奥深くに、ちゃんと育って根づいているところに
家族ベースから友達ベースを求めるという発達段階の変化も加わって
新しい環境、新しい友達にも
なじんでいけるのではないかな、と感じるのです。
ひとつつけ加えておきたいのは
ベースが家族から友達に移るという変化は
ご家族の愛が大元の土台にあるから起こること。
たっぷりお友だちと過ごしたあとの
「聞いて聞いて、今日ね、、、」
という子どもの声に心を傾けながら、次のステージを温かく見守り、サポートして頂けたなら、子どもにとってこれほど幸せなことはないと思います。
さ、私の独壇場はこのくらいにして…
(いやほんと反省してますから)
きりん組の保護者の方々、在園児さんの保護者の方々、もし書き足りないことや書き残したことがありましたら、今のうちにどうぞ!
私は卒園式終了まで消えます。笑
O
何のために学ぶ 問題解決思考のススメ
Nさんの育休ブログタイトルをややパクったな…(ひとりごとです)
学童期に感じた疑問を、五感を使う体験を通して、解決や、より深い理解に導いていく。
この過程が、何で大切なのかという話を。
この時点で熱苦しい長文の予感しかしないんですが、笑
と、その前に
子どもが学ぶのは、何のためか。
そこを今一度、考えてみて頂ければと思います。
テストでいい点を取るため?
いい学校に入るため?
問題解決型学びの対として、計算や漢字の書き取り、暗記などの習得型の学びがあり、
大人がついこちらの方に目が行きがちなのは
テストや試験といった、目に見えて分かりやすい結果があるから。
だと個人的には感じています。
学生の間は、それでもいいのかもしれませんが。
社会に出たらどうでしょうか。
習得型の学びが求められる場面が、どのくらいあるか。
実は習得型の学びと同じことが、人間じゃなくても、むしろ人間より速く正確にできてしまうものがあります。
コンピューターです。
(と書いて読み書き算数は全くやらなくていいと勘違いされないように、最低限大切なラインはありますよ、ともつけ加えておきます。が今回はそこじゃなくて…)
このコンピューターの発展を主とした時代の大きな変化によって、今ある人間の仕事の9割が今後なくなり、今の子どもたちは今はない仕事に就く可能性の方が高い。のだそうです。
おそらく、自分で仕事を生み出すことが求められてきます。
全員がそうならなくても、何割かの人が新しい仕事を生み出すことで新しい雇用が生み出される世の中が、割と近くまで来ているそうです。
とこれは、別に親御さんたちを不安にさせたいわけではありません。
実は新しい仕事を生み出すときに、
世の起業家さんたちが通る
ある流れがあります。
病児保育事業を立ち上げたKさん(と馴れ馴れしく呼んでいますが全くもって知り合いではございません、私が勝手にファンになって勝手に著書を読んだりフォローしたりしているだけです)の例を見てみますと、
子どもがインフルになり、数日間続けて仕事を休んだらクビになった、というお母さんの話を聞いて(生活の中の実体験)
それはおかしい、理不尽だと憤り(問題提起)
どうしたらこの理不尽な状況をなくせるかと考え(問題解決にむけた探究)
病気の子どもを預けられるシステムを作ればいいのでは?と思い、それを形にしようと試みる。場所が借りられない、スタッフの給与の確保など問題が出てきたらその都度検証、クリア(問題解決にむけた試行錯誤)
共済型、訪問型の病児保育事業を完成。
今や新規会員募集は3分で満員の高需要システム。
(…なんかいろいろご苦労があったでしょうに、至極簡単にまとめてごめんなさい。)
この流れを一般化すると、
生活していく中で(実体験)
世の中の流れや動きをよく見て(観察)
「なんで?」「それはおかしい!」「どうしてこんな困ったことが起きてるんだ?」という疑問点に気づき(問題提起)
「これを解決するには、どうすればいいのかな?」と具体的な改善策を探し(探究)
その改善策を試してみて、問題が出てきたらその都度それを検証し(試行錯誤)
粘り強く解決に導き、
事業として完成させる。
あれ、この流れ、、、
そう、全く同じなんです、
学童期の問題解決型の学びと。
実体験→観察→疑問を持つ→解決にむけた探究、試行錯誤→解決に導く
扱う事柄や責任の重さ、動くお金などリアルなところは違えども、思考の流れは全く一緒です。
これから育って約20年後に社会に出ていく子どもたちは、この「問題解決型の思考回路」が身につけられるといいな
と強く思います。
全員が起業家に、というのは大げさかもしれませんね。
でも、生活の中のニーズや問題点を見つけ出してそれを何とかしようとする思考力と行動力は、どんな時代でも、どんな場所でも重宝されます。
この問題解決型の思考が、時代や環境の変化を生き抜く強みのひとつになることは、間違いありません。
学童期の特徴のひとつ、
「道徳心が発達し、善悪の判断に敏感になる」
というのも、この問題解決型の学びの、問題提起のところに繋がっていくものだと思います。
そして学んだことを人のために活かす、という思考も、この頃から少しずつ発達していくのではないでしょうか。いや、幼児期からかな…「自分ができることで人の役に立つ喜び」はあかねで既に培われていますもんね。
あ、でも、さかなクンみたいに、一見他の人の役には立たなさそうな(失礼過ぎるか)、だけど自分は大好き!ってことを、極める生き方もすごくいいですよね。いわゆる研究者タイプ。っていうかさかなクン大好き。←聞いてません
ということは、
「本人が幸せに生きていける」学びなら、いいのかな。学ぶことが幸せ、幸せになるために学ぶ。にわとりと卵のような関係。
ちなみに、読み書き算数、暗記は、問題解決型の学びをスムーズにしたり人に伝えたりするための「手段」として必要です。ここが、習得型の学びが必要な最低限のラインだと思います。
モンテッソーリの発達の4段階、
乳幼児期 に五感を通した体験をたくさんして
学童期 に体験を通した疑問をたくさん持って
思春期 に自分を、また社会を見つめ直して
青年期 に社会に立つ総合的な準備をする。
という自立までの大きな流れの中の「学び」ととらえると
学び方を学ぶ、
学ぶ楽しさを知る、
問題を解決するために学ぶということは、
知性の自立につながる、とってもとっても大切なことなんだろうな
と感じている次第です。
…長い。長いわ~。そして熱いわ~熱苦しいわ~
そしてそして、あかね保護者ブログを乗っ取り状態ですみません。あと「学童期の人間関係」について書いたら、しばらくおとなしくしますね。きりん組さんが卒園するまでに(ってあと一週間じゃないか!)
O
学童期の学び モンテッソーリからのヒント
引き続き、学びについて。
の前に、前回前々回の補足です。
乳幼児期から学童期の変化、
ひとつ大事なことが抜けていました。
・抽象的な思考が広がり、深まる。
目の前に具体物がなくても、それまでの感覚的、具体的な体験と照らし合わせて、頭のなかで具体的な絵を思い描けるようになる。
これです。
前回の料理の疑問は、実際に料理したことがある人しか思い浮かびません。
生活の実体験があるからこそ、物の変化に気づいたり、それを「なんで?」と感じることができます。
この「なんで?」を追究するときも、できるだけ五感を使った具体的な体験で学べるようにしたいものです。
今はインターネットで何でも調べられる時代ですが、これは「自分の手や身体、五感を働かせて調べる」学びとはちょっと異なるのかな、と思います。
実際に、インターネットで調べて分かった気になったけど、いざそれを人に説明しようとしたらできない…ってこと、大人でもありませんか。
自分の五感を働かせて理解したことは、感覚を通して知性の深い部分に根をおろし、そのものがなくても具体的な絵を思い描けるようになります。こうなると、人にも自分の言葉で説明できるようになると思うのです。
大人が子どもの学びや調べ学習をサポートするときは、インターネットは最終手段にして、できるだけ五感を使う具体的な体験を通した学び方を伝えてもらいたいな、と思います。
ちなみに、学童期のお子さんの「なんで?」が少ない場合は、それまでの実体験が少ないからかもしれません。(もしくはそんなこと疑問に思う暇もなく、習い事などで忙しいか)
その場合は、五感を使った具体的体験をする、という基本に戻ればいいのかな、と思います。
また、学校の授業についていけない…という悩みが、もしかしたら小4あたりから出てくるかもしれません。特に算数。
この「分からない」というのも
「頭のなかで具体的な絵を描けない」状態なので、やはり具体物を通した学びが必要になってきます。
(ということが、学校にももっと深く理解してもらえて広まるといいな~と個人的には思ってます)
モンテッソーリの教具は、この
「五感を使って具体的な体験をして、それが抽象的な思考につながる」
という点で(も?)、ものすご~くよくできていて、一緒に使っている大人にも、ものすご~く分かりやすいです。
十進法ってこういうことか、4桁の割り算の筆算ってこういうことやってたのか、分数の計算ってこういう意味なのか、、、っていう学び直し。笑
(っていうか、よく今まで何も疑問に思わず問題解いてたな…と我ながら感じます。受け身過ぎる)
なので、勉強が分からなくなって悩むことがもしあったら、数の教具をさわりに来がてら遊びに来て下さいね。と部外者が勝手なことを言ってみる。笑
…補足のつもりが、普通にひとつの記事になってしまった(^^;
でもそのくらい、大事だということです。
「五感を使った実体験、
それを通した抽象的な学び」
をキーワードに、大人の方もサポート方法を試行錯誤したいものです。
次回こそは、「問題解決型の学び」について。
O
学童期のモンテッソーリ観①学びについて
ここではあえて勉強ではなく、学びと書かせて頂きます。勉学を強いるっていう響きがもう、主体的じゃなくてあんまり好きじゃないので(^^;
学びに繋がる、学童期の子どもの特徴は
「原因と結果に興味を持つ。なぜ?が増える」
ここです。
Wさんのお子さんが家事全般がお好きということで(…私にも分けてください、その気持ち)料理を例に挙げてみると
・何でチョコレートは熱で溶けて、冷えるとまた固まるの?
・何で白菜やきゅうりを塩でもむと水が出てくるの?
・卵(肉、魚)は何で熱を通すと色が変わって固くなるの?
・何でフライパンに油をひくとくっつかないの?
・何で納豆は腐った豆なのに食べても大丈夫なの?
・なんで片栗粉を水に入れて火をかけるとトロっとするの?
・味噌/醤油は何からできてるの?どうやって作るの?
・このお野菜/果物はどこから来たの?どうやって育てるの?いつ収穫できるの?
(以上、食材について)
・電気ポットはどうやってお湯を沸かすの?なんで火がなくても水が熱くなるの?
・圧力鍋って中はどうなってるの?なんで数分で分厚い大根が柔らかくなるの?
・テフロン加工のフライパンはなんでくっつきにくいの?
(以上、道具について)
最後の方、個人的疑問点も盛り込んだため、小学生が持つ疑問ではないかもしれません。すみません。
これらの質問に、科学的にすらすら答えられる方っていらっしゃいますか?
残念ながら私は、無理です。卵ひとつとっても。え、え~と、たんぱく質が~、熱で~、、、、分からん。(沈没)
ここで伝えたいのは、
料理ひとつとっても、化学や生物や物理の要素が満載だということ、
料理だけでなく、洗濯や洗濯、買い物などの日常生活の中には学びの要素が満載だということ。
農産物、水産物の産地やそこに関わる人口分布が気になって調べ始めたらそれは社会科の学びに繋がります。交通ルールを知る、地図を読むというのも社会科ですね。
ホールケーキを人数分に切り分ける、なんていうのは分数、つまり算数の学びになります。「おやつは300円まで」のようなお買い物は、常に計算という算数分野の頭フル回転です。
国語は常に、立て看板を読んだり本を読んだりバースデーカードを書いたり(今どきの小学生はメールやラインだったりするのかしら…ドキドキ)、日本語を使って生活していれば培われていく分野の学びです。
おそらく本来の学びというのは、机の上のものだけでなく、普段の生活の営みから生まれてきて、生活の中で育まれるものだと私は考えています。
そしてそれは本来、学童期の子どもにとって楽しいものだと思うのです。
ほっといても「なぜ?」「なんで?」があふれでてくる、探求心でいっぱいなのがこの学童期です。6歳頃からなので、年長さんは既に「なんで?」が始まっているかもしれませんね。
この子どもの「なぜ」を、大人が
「え~、そんなこと聞かれても分からないわよ!それより宿題やったの?」
と華麗にスルーし続けるか、
ちょっと立ち止まって
「そういえば何でだろうねぇ」
と一緒に考えるかで、子どもの学び方は変わってくると思います。
疑問に思うことがあるということは、生活の中の「変化」に気づいたということ。
それを、何でこうなるのか調べたり、いつも同じ結果になるのか確かめたり、じゃあこうしたら今度はどうなるのか応用したりする。
この子どもの主体的な追求、学びを、大人がサポートできたらいちばんいいと思います。
そのサポートとは、
大人が子どもの「なぜ?」に答えを出す
ということではありません。
必要なのは、
子どもが「自分たちで考えて、疑問に答えられるように、手伝う」ことです。
そして、「分からなかったことが分かるようになって、楽しい」「知らなかったことを知れて、嬉しい」という子どもの気持ちが育つお手伝いをすること。
これが、学ぶ楽しさにつながります。
学び方、学ぶ楽しさを知っている子どもは
どんな環境に置かれても、強みを発揮します。
時代によって、学ばなければいけないこと、学んだ方がいいことは変化します。私が子どもの頃は、学校にパソコンもなければ当然メディアリテラシーなんて言葉もありませんでした。
学び方とその楽しささえ身につけていれば、時代による変化も怖くありません。
何を学ぶか より、どう学ぶか。
学童期はそこを育てるいちばんいい時期だと感じます。
…学びの記事はひとつでまとめようと思っていたのに、まだ書きたいことがある(^^; ので次回も学びの話です。なんで問題解決型の学びが大事なのか、それが子どもの将来にどうつながるか、という話。
今回のまとめ;
「学童期の疑問は、学びの原点。
調べたり確かめたり追求したりが自由にできる環境をサポートすることで
主体的な学び方と、学ぶ楽しさが身につく。
(ということを大人は心がける)
何を学ぶかよりも、どう学ぶか。を大人も一緒に考える」
個人的には、もし子どもができて学童期になったら
「子どもの疑問ノート」を作って日々の疑問を書きとめてもいいのかな、なんて想像してます。その場で調べられるとも限らないですしね。時間をかけて「そういえばこれ、こないだ学校で習ったよ!」とあとからわかる、という楽しみ方もできそうで。いやあくまでも個人的妄想ですが(^^;
O元先生
学童期の子どもの発達
学童期のお話が出たので、そこについて私の分かる範囲で書こうと思うのですが、いろいろと書きたいことがあり、今から何やら長文の予感です。なので3部作くらいに分けるかもしれません。まとめて書くと書いてる本人が何が言いたいのか分からなくなってくるので、整理する意味合いも込めて。
まず、モンテッソーリの学童期は、6~12歳をさします。日本だとちょうど小学生の時期です。
その後は思春期(12~18歳)、青年期(18~24歳)と続きます。
乳幼児期を合わせて、子どもから成人するまで4ステージにわかれ、その4ステージ全て、全く違う性質です。
乳幼児期→学童期の子どもの変化は、
・家庭ベース→友達関係ベースの生活へ
・個人活動→グループ活動を好むように
・乳幼児期は心身ともに変化が大きく、情緒も不安定→身体の成長のしかたが安定するとともに、情緒も安定
・抽象的な思考が広がり、深まる。目の前に具体物がなくても、それまでの具体的経験と照らし合わせて頭のなかで絵を思い描ける。
・道徳心が育ち、善悪の判断に敏感になる
・原因と結果 に興味を持つ。なぜ?がキーワード
など。
大人側としては、これらの変化を知っておいて損はないと思います。
ついこの間まで「おかあさ~ん/おとうさ~ん」にベッタリだったと思ったら、
「ただいまー!(ランドセルを玄関に放って)行ってきまーす!」と、友達と遊ぶことが何よりの楽しみになる(親としてはちょっとさみしい。っていうかランドセル片づけて~)
とか、
道徳心、正義感が育つにつれて妙に理屈っぽくなる(ように見える)。「どうして今の人、赤信号で渡ったの?」「何で大人はよくて、子どもはダメなの?」的な質問(詰問?)が増える。ちゃんと理屈で納得したい(が、大人にはその理屈っぽさが面倒になることがある)
とか、
こういう目に見える変化ですら、
こちらの心の準備がないと
「こないだまであんなに可愛かったのにな…」
とネガティブに感じがち。
でも実はとても喜ばしい変化なんです。
ちゃんと学童期のステージに上がって、人間の本来自然の発達を遂げているという証拠。(…と分かってはいても、という部分もありますが。笑)
ということをふまえて、
小学校に上がるお子さんがいらっしゃる方の心配事は、①子どもの友達関係 ②勉強のこと が主なのかな~と思いますので、そのふたつについて書いてみます。が、キリがいいので次回に回します。
今回は「乳幼児期と学童期は違う」ことだけ、
心のどこかに置いておいて下さい。
O(元先生の方 って毎回思うけど、先生って自分で言っちゃうのどうなの…でもOだけだと卒園児さんのお母様にもいるし…旧姓でもKさん在園児さんのお母様にいるし…悶々)