何のために学ぶ 問題解決思考のススメ
Nさんの育休ブログタイトルをややパクったな…(ひとりごとです)
学童期に感じた疑問を、五感を使う体験を通して、解決や、より深い理解に導いていく。
この過程が、何で大切なのかという話を。
この時点で熱苦しい長文の予感しかしないんですが、笑
と、その前に
子どもが学ぶのは、何のためか。
そこを今一度、考えてみて頂ければと思います。
テストでいい点を取るため?
いい学校に入るため?
問題解決型学びの対として、計算や漢字の書き取り、暗記などの習得型の学びがあり、
大人がついこちらの方に目が行きがちなのは
テストや試験といった、目に見えて分かりやすい結果があるから。
だと個人的には感じています。
学生の間は、それでもいいのかもしれませんが。
社会に出たらどうでしょうか。
習得型の学びが求められる場面が、どのくらいあるか。
実は習得型の学びと同じことが、人間じゃなくても、むしろ人間より速く正確にできてしまうものがあります。
コンピューターです。
(と書いて読み書き算数は全くやらなくていいと勘違いされないように、最低限大切なラインはありますよ、ともつけ加えておきます。が今回はそこじゃなくて…)
このコンピューターの発展を主とした時代の大きな変化によって、今ある人間の仕事の9割が今後なくなり、今の子どもたちは今はない仕事に就く可能性の方が高い。のだそうです。
おそらく、自分で仕事を生み出すことが求められてきます。
全員がそうならなくても、何割かの人が新しい仕事を生み出すことで新しい雇用が生み出される世の中が、割と近くまで来ているそうです。
とこれは、別に親御さんたちを不安にさせたいわけではありません。
実は新しい仕事を生み出すときに、
世の起業家さんたちが通る
ある流れがあります。
病児保育事業を立ち上げたKさん(と馴れ馴れしく呼んでいますが全くもって知り合いではございません、私が勝手にファンになって勝手に著書を読んだりフォローしたりしているだけです)の例を見てみますと、
子どもがインフルになり、数日間続けて仕事を休んだらクビになった、というお母さんの話を聞いて(生活の中の実体験)
それはおかしい、理不尽だと憤り(問題提起)
どうしたらこの理不尽な状況をなくせるかと考え(問題解決にむけた探究)
病気の子どもを預けられるシステムを作ればいいのでは?と思い、それを形にしようと試みる。場所が借りられない、スタッフの給与の確保など問題が出てきたらその都度検証、クリア(問題解決にむけた試行錯誤)
共済型、訪問型の病児保育事業を完成。
今や新規会員募集は3分で満員の高需要システム。
(…なんかいろいろご苦労があったでしょうに、至極簡単にまとめてごめんなさい。)
この流れを一般化すると、
生活していく中で(実体験)
世の中の流れや動きをよく見て(観察)
「なんで?」「それはおかしい!」「どうしてこんな困ったことが起きてるんだ?」という疑問点に気づき(問題提起)
「これを解決するには、どうすればいいのかな?」と具体的な改善策を探し(探究)
その改善策を試してみて、問題が出てきたらその都度それを検証し(試行錯誤)
粘り強く解決に導き、
事業として完成させる。
あれ、この流れ、、、
そう、全く同じなんです、
学童期の問題解決型の学びと。
実体験→観察→疑問を持つ→解決にむけた探究、試行錯誤→解決に導く
扱う事柄や責任の重さ、動くお金などリアルなところは違えども、思考の流れは全く一緒です。
これから育って約20年後に社会に出ていく子どもたちは、この「問題解決型の思考回路」が身につけられるといいな
と強く思います。
全員が起業家に、というのは大げさかもしれませんね。
でも、生活の中のニーズや問題点を見つけ出してそれを何とかしようとする思考力と行動力は、どんな時代でも、どんな場所でも重宝されます。
この問題解決型の思考が、時代や環境の変化を生き抜く強みのひとつになることは、間違いありません。
学童期の特徴のひとつ、
「道徳心が発達し、善悪の判断に敏感になる」
というのも、この問題解決型の学びの、問題提起のところに繋がっていくものだと思います。
そして学んだことを人のために活かす、という思考も、この頃から少しずつ発達していくのではないでしょうか。いや、幼児期からかな…「自分ができることで人の役に立つ喜び」はあかねで既に培われていますもんね。
あ、でも、さかなクンみたいに、一見他の人の役には立たなさそうな(失礼過ぎるか)、だけど自分は大好き!ってことを、極める生き方もすごくいいですよね。いわゆる研究者タイプ。っていうかさかなクン大好き。←聞いてません
ということは、
「本人が幸せに生きていける」学びなら、いいのかな。学ぶことが幸せ、幸せになるために学ぶ。にわとりと卵のような関係。
ちなみに、読み書き算数、暗記は、問題解決型の学びをスムーズにしたり人に伝えたりするための「手段」として必要です。ここが、習得型の学びが必要な最低限のラインだと思います。
モンテッソーリの発達の4段階、
乳幼児期 に五感を通した体験をたくさんして
学童期 に体験を通した疑問をたくさん持って
思春期 に自分を、また社会を見つめ直して
青年期 に社会に立つ総合的な準備をする。
という自立までの大きな流れの中の「学び」ととらえると
学び方を学ぶ、
学ぶ楽しさを知る、
問題を解決するために学ぶということは、
知性の自立につながる、とってもとっても大切なことなんだろうな
と感じている次第です。
…長い。長いわ~。そして熱いわ~熱苦しいわ~
そしてそして、あかね保護者ブログを乗っ取り状態ですみません。あと「学童期の人間関係」について書いたら、しばらくおとなしくしますね。きりん組さんが卒園するまでに(ってあと一週間じゃないか!)
O